したくないことをやらなくちゃ(2/14)

2/14 日曜日 晴

昨夜なかなか寝付けなかったので8時頃までたっぷりと寝る。ベッドから起き上がった瞬間に「シュークリームが食べたい!ベアードパパを買いに行くぞ!」と既に起きて朝食の準備をしてくれている奥さんに向かって叫んでしまう。そんなことを叫んで許されるのはモンキー・D・ルフィか陽気な無職のおじさんのどちらかで、僕は完全に後者である。陽気なことは何よりも変え難い魅力がある。

朝食を軽く食べて今日は何をしようかなとか相談していると、友人も今日は休日だと言うことを思い出し、屋上のペントハウスに行き今日は何をしようかと相談。最近車の免許を取得した彼は得意げに「車に乗ってどこかに行くか」なんて言うものだからこんな奴に免許を与えるなと思う。友人はアフロディーテギャングなので、政府は今後如何なる免許も彼に与えてはいけない。そもそも車の免許なんてそんな簡単にほいほいと与えていいものなのか。普通の人生を歩んできた人間ならほとんど持っている。車は純粋な殺人マシーンだという認識をもっとみんな持ってくれ。

車に乗ってどこかに行くかという言葉が脳内をレフレインする。レンタカーを初心者が運転して40km離れたコストコまで買物に行くなんて狂気の沙汰でしかない。本当に行きたくない。怖すぎる。そんな事を考えながら僕は思いだす。したくない事こそすべきなのだ。やりたくない事を率先して実行するのだ。やりたい事ばっかりやっていると生温い笑いで満足するような人間になってしまう。初心者の運転する車に怯えて、別のことをして生温いジョークで笑うよりも、初心者の運転する車で全てが大破するほどの大事故を巻き起こした方が結局笑えるのだ。僕たちはそういう人間なのだ。吐気を催すほどの苦しみを全身で受け止めながら、匍匐前進で進んだ先には、それなりに笑える未来が待っていたりする。そしてその笑える未来の先には純粋な後悔の念しか存在しない無音な世界が広がっている。

ブサイク(僕は全く彼らのどこがブサイクなのかは理解できないけれど、デビュー当時から彼らがそれを散々売りにしていたので一応。)な癖に直接的に心に語りかけることの出来る稀有な存在である日本語ロックの名手、サンボマスターが2010年にリリースした名曲『できっこないをやらなくちゃ』はその曲名のとおり出来ないことに挑戦しないと意味がないと歌う。1992年に発表されたみうらじゅんの『アイデンアンドティティ』では「やらなきゃならないことをやるだけさ。だからうまくいくんだよ。」と、ディランの『Buckets of Rain』から引用されたこのメッセージが物語の核となる。はっきり言ってうるせえ黙ってろである。やらなきゃいけない事なんかやりたくないし、それで上手くいかなかったら無理やり誰か人のせいにしろ。できない事なんか別にやらなくていい。勝手にしろ。それよりも僕たちのメインテーマ「したくない事をして、スリルを味わって最終的には後悔しろ」の方が幾分かクールだ。という事で発狂しそうになる精神を抑え込み、レンタカーでドライブに出かけた。

道中の友人は予想に反し安定的な安全運転を披露し、死と僕たちの距離がどんどん離れていった。途中ファミレスで昼食を食べた。友人は純ジャパのはずなのに、日本語のスピーキングとリスニングが壊滅的に出来ないのでコミュニケーションを取るのがとても難しく笑ってしまう。

コストコで大量の食材を買込む。無駄な物から本当に無駄なものまで買う。実用的なものを買ってはいけない。無駄なものを買い、無駄なお金を払い、無駄な時間を使う。そうやって資本主義社会は成り立っている。帰りの車の中で後部座席の僕が、前の車に貼ってあるステッカーを見て「KIDS IN CAR」と呟くと、ハンドルを握っている友人が「自立 in the park?」と聞き返し、助手席に座っている嫁が「公園で一体何があったんだ」と叫んでいた。家につき、友人がスキンヘッドになり、みんなでコストコで買った大量のご飯を食べながらゲラゲラ笑って1日が終わった。

総じてとても日曜日的な日曜日だった。博物館に日曜日的な日曜日と飾られていても、誰も疑わないような日曜日だった。車の中に差し込んでくる夕方の柔らかい日差しを久しぶりに見た。車でどこか知らない場所に行くのは楽しい。またみんなでどこかに行こう