眠れない夜だってある

僕の髪がまだ胸くらいまであって、チープマンデーのスキニーを履いてVansのjazzをボロボロになる迄履いていた頃、よく眠れない夜があった。その頃の僕はきっと他の同世代の友人たちと同じように精神的な問題をいくつか抱えていて、同世代の友人たちと同じように長い夜を過ごしていたのだと思う。夜の長さに驚いて、昼の短さにさらに驚いたりしているうちにその長い夜の使い方を覚えていくにつれて僕たちは大人になっていく。あの頃僕たちはみんな不安定で、不安定でいる事が許されていたように思う。今の若い子たちも同じようにみんな不安定なのだろうか。以前Twitterで、昔寂しい寂しいとよく言っていた人たちは一体どこにいってしまったのかという旨のつぶやきをみて、本当にどこにいったのだろうと思ったことを今思い出した。夜の使い方を覚えて、精神的にも大人になると、その頃にはもう精神的な問題はほとんど無くなり、文化的で健康な生活を送るようになっていく。そして夜は眠りにつく。

それでも、大人になってからも時々眠れない夜が来る。精神的な問題はほとんどないと思えるのに、急に眠れない夜が来る。眠れない夜に思い出すのは同じように眠れなかった京都の夜や、池袋の夜の事で、その時のことを思い出すとより眠れなくなる。大人になっても子供の時みたいに眠れなくなる夜が来るということを受け止めるためだけにこの文章を書いている。精神的な理由で夜眠れないという事は若さの特権のようにも思えるけれど、実際には大人になった今でも昔子供だった僕たちにはまだ眠れない夜があるのだ。それは決して良いこととは言えないけれど、大人と子供の緩やかなグラデーションの中で、まだ曖昧な色合いの部分があるという事は全く自然なことでもあるように思える。個人的な夜についての思い出を書き記すことになると、間違いなく朝までかかってしまうので、個人的な夜については触れないけれど、眠れない夜は今の僕にもちゃんとあるんだよっていう事をいつかの自分に向けて。