ミイラ展/ゴッホ展/みはしの『栗ぜんざい』

実家を朝早くに出て常磐線のグリーン車でM1の準決勝をGYAOで観ながら個人的に笑ったネタを姉に送りつけるという毎年の恒例行事をしている間にも時計の針は進み、電車は進む。僕がいくら非生産的な行為に走ろうともJRの職員は一生懸命に働いている。それにしてもGYAOは本当に無料でM1の予選が見れて最高ですね。素晴らしい。

上野についてミイラ展を観る。比較的早い時間だったのでチケットはすぐに買えたけれど会場の中はそれなりに混んでいる。奥さんが見たい見たいと騒いでいたのと、世間がわいわい騒いでいたので気になって見にきたもののやっぱりミイラに一切興味がない事を再確認。ミイラそのものを観るよりも、現在の日本的な宗教観念とはかけ離れたミイラ文化の説明をもっとしてほしいと思った。生きている人間が厳重に守られたガラスケースの中のミイラを興味本位で見ている光景はなかなかショッキングで、子供たちもケラケラ笑いながら見ているけれど、それってただの死体だってことに気付いているのだろうか。死はミイラとして身体を残されようと、火葬によって身体を失おうと少なからず悲しみを内包する。だからこそ、そのミイラとなっている彼らにもう少しリスペクトがあっても良かったのではないかというミイラ展の趣旨とは違った所が気になってしまい十分に楽しむことが出来なかった。なんでミイラがこれほどまでに人気なのか最後まで僕には分からなかった。

展示の最後にある即身仏に手を合わせていたおばあさんが何故か一番印象に残った。

ミイラ展でげんなりしてしまったので上野公園のイベント広場の出店で焼きそばを買って食べるも、美味しくなくてびっくりした。噴水のそばでキックフリップをいとも簡単にこなすスケーターの少年が、まだ昼の明るい日差しの中で警察官に注意されていた。

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ゴッホ展は印象派の作品も含めてのキュレーションだったので、ゴッホの作品自体はそこまで多くはなかったのだけれど作品の強度は凄まじい。農民が描かれた絵を見て「貧乏くさっ」とか「悲壮感激渋〜」とか騒いでいた我々も目の前にゴッホの作品がドンと現れるとやっぱりびびる。全体的にみんな静かでなにも感想を言わずにただ作品を眺めているだけだったのだけれど、適当に感想を言いながら見たほうが楽しいに決まっている。きっと芸術を批評するのは難しい見たいな事を考えているのだろうけれどそんなものは適当でいいのだ。思ったことを言っていればいい。もう死んだ人間に今更怒られることもないのだから、この絵のここがヤバくてこの絵のここがまじでラディカルとか適当なことを言っていればいいのだ。少なくともあの静まり返った美術館の空気はキモすぎるので早く上の世代よ成仏してくれ。

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美術館を経てお腹がすいたので上野のみはしで栗ぜんざいを食べる。美味しいけれど西荻の甘いっこの方が美味しい。