法事が嫌いでたまらない

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今祖父の納骨に向かう常磐線のグリーン車の中でこの文章を書いている。僕はどうしても法事が好きになれない。不幸じみたムードが苦手というよりは、単純に時間の無駄だから好きになれない。本来であればよく晴れた土曜日の朝なのだから、ゆっくりと朝食を食べたり、早起きをして山に登ったり、ベッドの上でまだ夢を見ていたりと、いずれにせよ豊かな時間を過ごす事が出来たのに、僕はなぜかこの時間にダークスーツを着て、馬鹿みたいに革靴まで履いて、電車に座っている。どう考えても納得がいかない。なぜもう既に死んでしまった人のためにここまで時間を割かないといけないのか。生きている間に僕は彼らと十分な時間を過ごす事が出来たし、もし出来ていないとしても、それはもう取り返しようのない事だと考えている。お墓まいりに行き、納骨に行ったところで誰が得をして誰が喜ぶのか僕には分からない。得をするのは寺の坊主くらいで、殆どの人は自分のお金と時間を無駄にするだけ。納骨なんて業者が勝手にやってくれよと思う。祖父の事は大好きだけれど、それとこれとは話が別で骨と祖父を同じものだと思えない。死んだ人の事は今でも大切に思うけれど、生きている人の方を大切にしたい。今生きている人に会いたい。死んでしまった人に会いに行くという考えが分からない。なぜ会うために墓地まで行く必要があるのかも分からない。まとめてしまえば、僕は自分の都合しか考えられない自己中心的な人間という話になるのだろう。それはそれでしょうがないと思うのだけれど、もし自分が死んだら葬式もお墓まいりも一周忌も、法事全般も特にやらないでおいてもらいたい。意味のない事だし、今時天国とか地獄とか誰が信じているというのか。