母について

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一年前の今日、母が亡くなって、僕はとんでもない世界に投げ出されてしまったなと強く思ったことを覚えている。悲しみよりも、母がいない世界で生きるのかという諦めのようなものが大きかった。悲しみはほとんどなく、あるのは寂しさだけだった。よく覚えているのは母が亡くなった日の夜に、食欲がなく何も食べずに落ち込んでいる父や姉を置いていき、ひとりでとんかつ屋で大盛りのライスと大盛りのとんかつを食べたこと。なぜかこういうことを僕はよく覚えている。死に直面すると、僕は生をどうしても意識してしまう。生きることは食べることという安直な考えのもと、僕はとんかつを食べて、母のことを思い出しながら笑った。

大切な人を亡くすのは初めての体験ではなかった。母の前にふたり、僕の人生においてとても大切だったひとを失ったことがある。ひとりは母のような存在で、一緒にくらして、いつも美味しいご飯を作ってくれた。そして何よりもとても優しい人だった。もうひとりはとても小さくて、まだ人間とは言えない、命そのものだった。命に血が流れて筋肉に覆われて、さらにその上から皮膚に覆われることによって人間になるのであれば、彼女(彼)はまだ、命そのものだった。

前者の彼女を失った時に、この大きすぎる悲しみを僕はどう扱っていいのかわからなかった。誰かにぶつけるべきものなのか、彼女が最後に残してくれた感情として、大切に誰にも話さずに、誰にも渡さずに自分の中だけで守っていくべきものなのか、それすらも分からなかった。この悲しみをどうすればいいのか分かりませんという僕に母は「心に大きな穴があいている状態だと思う。その穴は塞がなくていい。それと一緒に生きてあなたは幸せになりなさい。」と言った。

死は生のひとつの形として、心に空いた穴もひとつも心の形として。全てを許容して受け入れて、生きる。