アトピーと生活

ほとんど完治したアトピーの事を中心に

アンチオセロ主義

坊主が祭壇の前に座ってぽくぽくちーんとかやっているのを親族列の最前列で見ていると急にお前らの宗教観を押し付けてくるなよという気持ちが心の中で大きなっていく。それだけでは終わらなくて、親戚たちの鼻をズズっと鳴らす音やメソメソとした雰囲気がさらに僕の怒りを加速させる。本来であればこんなところで怒りとか思ってはいけないのだろうけれど僕の怒りは止まらない。ぶつける先も分からない僕の怒りをを僕はどうすることもできない。人が死ぬということはそんなに悲しい事なのだろうか。人はいつか絶対に死ぬし、それが今なのかもっと先なのか、本来はもっとずっと手前の段階で起こることもあり得たのだ。それを今まで何十年もの長い間一緒に過ごすことが出来た幸せを最後の瞬間の悲しみだけで全て悲しい出来事のようにしてしまう事が僕は納得が出来ない。
喪主となった祖母は溜息ばかり付いているので僕はいい加減我慢ができなくなって、お通夜が終わって人がほとんどいなくなった葬儀場の入口の横の喫煙所で煙草を吸いながら祖母に「溜息ばかり付いてるんじゃないよ。」と言ってしまう。言った瞬間にしまったと思うのだけれど僕は止まらない怒りを言葉に変換して祖母にぶつけてしまう。「僕は20数年、おばあちゃんは70年もあんなに素晴らしい人と一緒にいる事が出来ただけでそれはもう幸せ以外の何物でもないんだよ。」「おじいちゃんと1秒も過ごす事ができなかった人が沢山いる中で僕たちは奇跡的にもおじいちゃんと沢山の時間を過ごす事ができて、こうやって死まで全て見届ける事ができるなんてこれ以上何を望むんだよ。」
祖母は僕の言葉には何も反応せずに、煙草を吸い終えて葬儀場に戻り、祖父の大きな写真が掲げられた祭壇の前にたち祖父の顔を数分静かにずっと眺めて誰にも聞き取れない、どれだけ近付いてもふたりにしか聞こえないような小さな声で何か話しをしている。ああ僕は言い過ぎたなと思いながら祖母を見ていると、祖母はくるっと向きを変えて僕のところに向かって歩いてきて言う。「おじいちゃんの顔をみたら自分がしっかりしないといけないんだって思い直したよ。」「さっきの言葉本当にその通りだと思うよ。」そう言って小さな手で僕の手を握ってくるので僕はその手の小ささと暖かさに少し驚くけれど、ちゃんと握り返す。出来るだけ優しく、強く握り返してあなたは一人じゃないよということが伝わればいいと思う。
死というのは生きている過程のひとつでしかないんのだ。成人式をおめでたくやるよう、葬式だって同じように心の中では少しくらいみんな祝う気持ちを持っていてもいいんじゃないかと僕は思うのだ。とは言っても沖縄とか九州の成人式みたいなお葬式は怖いからやめてね。