アトピーと生活

ほとんど完治したアトピーの事を中心に

湯浅政明『きみと、波に乗れたら』感想

湯浅監督の最新作『きみと、波に乗れたら』を立川シネマシティで見た。思いっきりラブストーリーだった。見ているこちらまでが恥ずかしくなってしまうくらいに密度の愛。愛を限界まで詰めて、もういつ爆発してもおかしくないような水風船を目の前で延々と見せられているような感覚に陥った。感想を書くのが得意ではないのだけれど、思ったことをつらつらと書いておく。

小説 きみと、波にのれたら (小学館文庫)

小説 きみと、波にのれたら (小学館文庫)

 

夜明け告げるルーのうたとの共通点について

夜明け告げるルーのうた
 

 今作『きみと、波に乗れたら』でも水と歌が物語の中心にある。ルーの歌では、人魚は歌を好み、おびき寄せる事ができるとされていた。本作では、死んでしまった港はひな子が歌を歌えばひな子の前に姿を表す事ができる。
水については、ルーの力によって水は個体のように扱う事ができ、空中にも浮かぶ事ができた。今作でもルーの力と同じように、水は個体のように扱われる。ただ今作ではサーフィンが重要なモチーフでもあることから、流動的で波本来の誰も制御できない野生的な一面を見ることができる。
ルーでは、主人公とルーの間に性的な愛情まで生まれて居なかった。その点今作では消防士と大学生でしかも人間同士ということで純粋な大人の恋愛を描けている。なんとなくルーでは表現できなかった、人間の蜜な恋愛について描く必要があったのだろうと思えた。実際に映画前半ではコーラフロートの上にガムシロップをかけて、ホイップクリームで蓋をしたような甘い甘い恋愛が描かれる。大人の人間なので当たり前のようにキスをして、ふたりとも裸でいるようなシーンも描かれる。ドキドキしてしまう。港とひな子がひな子の部屋で踊るシーンが『シェイプ・オブ・ウォーター』の官能的なダンスシーンを思い出させた。 

誰かのヒーローであること 

#1 風の音がジャマをしている。
 

 今作のテーマはヒーローについてだと勝手に思っている。それぞれヒーローがいる。
港は子供の頃に海で溺れ、それを同じように子供だったひな子に助けてもらったことがある。そしてずっとひな子を自分のヒーローだと思っていた。
同様にひな子も港のことをヒーローだと思っている。ひな子が引っ越してきたマンションが火事になり、屋上に逃げたひな子に、ゆっくりと近づくはしご車のカゴ。そのカゴの中から手を差し伸べる港。その瞬間から港はひな子のヒーローになる。ひな子には作れないオムライスを簡単に作り、自分のやるべきことをしっかりと捉え実行していく港はヒーローだった。
港の妹、洋子にとってのヒーローは山葵。不登校になり兄と比べられている妹に対して山葵の「きみはきみのままでいいんだよ」という言葉によって彼は彼女にとってのヒーローになる。山葵にとってのヒーローは、港だったのだろう。
みんな誰かのヒーローなのだ。そして誰の中にも自分だけのヒーローがいる。自分の何でもない言葉や、行動が誰かの心を動かすこともある。そして誰かを救うこともあるかもしれないのだ。

『恋をしないなんてバカのすることですよ」

『恋をするなんてバカのすることですよ』と散々言ってきた洋子が物語の最後でひな子に向けて言う『恋をしないなんてバカのすることですよ』という言葉に泣いてしまった。兄の港にしか素直になれなかった洋子が世界に向けて素直になっていくことで発せられた言葉なのだろうけれど、それはあまりにも前向きでまっすぐで、未来的で、僕たち自身に向けられた言葉のようで、間違いなく最も重要なシーンのひとつだと思う。

とても素晴らしい映画だった

湯浅監督のあのパースを全て無視したアニメーションの特権ともいえる作画は今作ではあまりでてこなかった。どちらかというとdevilmanのような、作画が何度か見て取れた。生きている人間と、水の中でしか生きられない港の違いの表現としての作画の使い分けに使われていた。次回作では映画館のあの大きなスクリーンで天才湯浅の作画が見たい。