アトピーと生活

ほとんど完治したアトピーの事を中心に

有意義な午前

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朝いつもと同じ時間に目を覚ます。いつもと同じ時間に家を出て駅に向かう。いつもと同じ時間に着いたはずなのに、駅には人が溢れていた。どうやら人身事故の影響で電車が止まっているようだった。こういった状況に陥った時にこそ、その人の本質が浮き上がってくる。浮き上がって来た僕の本質はというと、完全にダメな人間のそれであった。運行停止の文字を見た瞬間に駅員の説明や、同じことを何度も繰り返すアナウンスを全て無視して、駅に併設しているコーヒーショップへと駆け込んだのだった。電車が遅れるという事は、全ての責任を鉄道会社に押し付けて堂々と休む事ができるという事で僕にとっては何のデメリットもなくメリットしかない。コーヒーショップで熱い珈琲を飲みながら煙草を吸ってインターネットで運行情報を見てみると、なかなか動き出しそうにもない事がわかる。鉄道会社の言う運転再開予定時刻は信じはいけない。僕が社会人生活で学んだ数少ないことのひとつだった。

諦めてコーヒーショップで『羊をめぐる冒険』を読みながら、煙草を吸っていた。

羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫)

羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫)

 

まだ改札には人が溢れていた。僕の両脇に座っていたサラリーマンの2人が同じタイミングで席を立った。振り返ると、喫煙室と禁煙室を隔てるガラス越しに、何人かのサラリーマンが急いで席を立つ姿が見えた。電車が動き出したらしい。いつも不思議なのだけれど、電車の遅延情報や運行情報をみんなどこで手に入れているのだろう。僕の知らないところでサラリーマンたちは己のサバイバル術を磨いている。

Twitterで運行情報を見ていると、今日は中央線開業150年の記念日だという。そんなメモリアルな日にこのような大規模な運行停止や遅延が発生するなんて、中央線らしいと思う。僕は中央線を電気で動く機械だと思っていない。個人的には大きなネコバスのような生き物であって、機嫌が悪ければ動かないし、心配事があれば元気がなくタラタラと動く生き物だと思っている。電気で動く機械だからみんな不満を言うのだろうけれど、生き物だと捉えればしょうがないよねみたいな感じになるのではないだろうか。僕たち人間は人間以外の生物には優しく、人間と機械にはとても厳しい。

人身事故の他にも強風で傘がパンタグラフに引っかかり、その撤去作業で40分以上電車が止まっていた。おそらくその傘は、昨晩の雨で使われて、捨てられたものだと思う。輪廻というか、バタフライエフェクトのようなものを感じずにはいられなかった。

結局僕は午前中に会社に行く事を諦め、コーヒーショップで3時間程読書をし、早めの昼食を取り13:00過ぎに出社した。いつも思うのだけれど、例えば運行停止している状況でも改札に入りホーム出来た長い列に加わり、何本かの電車を見送り、徐行運転をしている満員電車に乗り込み、クタクタになりながら出社した場合と、いつもの僕のようにすぐに諦めてコーヒーを飲みながら読書をして時間を潰し、完全に復旧し混雑も無くなった後に電車に乗り込んで出社するのでは、どれほどの時間差できるのだろうか。個人的にはそんなものは大きくて1時間程度であって、そんな事のためにわざわざ大変な思いをしなくてもいいではと思うのだけれど、それは社会一般的な考え方とは違っているのだろうか。

例え2時間早く僕よりも出社しても、その2時間で出来ることなんてたかが知れているのだから、その2時間は諦めて自分なりに有意義に使う方が良いのではないか。僕はそんなことを思うのだけれど、そんな事をスーツを皺くちゃにしてまで満員電車乗り込み、職場に向かっているサラリーマンに言ったらブリーフケースでぶん殴られそうなので、実態のない世界でこのような事を言っている。もっと言えばお前ら全員狂ってるし、ヤバい。怖いよ。苦行を美徳とするな。アーハ?