アトピーと生活

ほとんど完治したアトピーの事を中心に

新年度に死んでんの

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「新年度」という言葉を最近よく耳にするのだけれど、数日前から「死んでんの」で韻が踏めるという事に気付いてしまい、それからは耳にする全ての「新年度」を「死んでんの」に勝手に変換して生活している。そうすることで生活がどうなるってわけではないのだけれど、常にある程度ふざけていないと、自分が真面目な人間になってしまうのではないかとビクビクしているのだ。

花冷えという言葉は美しいけれど、流石に寒すぎるのではないか。そのような事をブツブツ言いながらモンベルのアルパインダウンパーカーを引っ張り出して会社に向かった。

「新年度」と「死んでんの」で遊んでいる僕にも新年度が来て上司が変わった。僕の上司はコロコロと変わる。それは僕に原因があるのか、取り込んで入りプロジェクトに問題があるのかわからないけれど、事実としてよく上司が変わる。新しい上司は今までの上司たちと同様に人間的に成熟した素晴らしい人で、仕事もできる。僕のくだらない冗談や突発的に言ってしまう幹部職員へのDISなどにも笑顔で対処しているところを見ると魂のレベルも高そう。と言うように素晴らしい人である事は間違いないのだろうけれど、まだ人となりが分からない。分からないので移動中などに仕事とは関係のない話などをしてお互いに懐を探り合っている。休日は何をしているのか、仕事は楽しいか、あのプロジェクトやばいっすねみたいな話を延々としている。社会人として必要なのはコミュニケーション能力みたいな風潮に則ってコミュニケートをしているわけではなく、ただ単純にどんな人なのか知りたいから会話をしている。人に興味がある。親しくなりたいとは思わないけれど、その人しか体験していないような出来事やハードコアな趣味の話とかを聞きたい。そのような話をしている時が一番楽しい。

上司は冗談交じりに「課長が君は能力が高いのにまだ本気を出していないと言ってたよ」と言って笑っていた。部下のやる気を出すためなのか、時間を埋めるための言葉なのかわからないけれど僕は「今が140%の状態です。これ以上を望まれると吐いてしまいます」と脳で考えずに声帯で考えた言葉で答えた。上司は残業もしているし、勉強熱心なのだけれど仕事はつまらないらしく、仕事をやめたいなどと話していた。対照的に僕はというと残業もしないし熱心でもない。遅刻もするし当日に休んだりもするので普通に考えて社会人としてあるまじき態度なのだけれど、仕事は楽しい。よく分からない事をしていても楽しいし、自分の好きなプロジェクトをしている時はそれはもう完全に楽しい。仕事をしなくても生きていけるならやめたいけれど、他にもどうせ働かないといけないのなら特に今の仕事をやめる必要もないのではと思う程度には今の仕事に満足している。

簡単に言えば基本的なすべてのことについて、満足しているのだと思う。小さい事を上げていけば、大きくて綺麗な家に住みたいとか、毎月5億円給料が欲しいとかあるのだけれど、家賃が3万円の古くて狭いアパートに住んで、月に20万円ちょっとの給料をもらえればそれで満足してしまう。僕の生活レベルからすれば、それだけあれば好きな本も読めるし、それなりに美味しい珈琲も飲める。時々だけれど奥さんにプレゼントを買うことも出来るし、猫の手術費も払う事が出来る。これ以上働いて、これ以上の給料を貰う必要も今のところないので、僕は今の仕事に満足しているのだと思う。多くの事を望めばそれはそれで大変な思いもしないといけない。適当に働いてそれなりに自分の時間を確保してお金を使って好きなことをするっていうのはどう考えてもサグいけど本人的には結構楽しかったりする。

見る角度によればミニマムライフかもしれないけれど、実際には経済的・社会的に小さな枠の中でしか生きる事が出来ないからこの小さな枠の中でやっている。マネーがあれば連日連夜の酒池肉林にアアルトのオリジナルを全作集めたりとやりたい事は山ほどある。友人に本当のミニマムライフを送ってる人がいて、その人は月収の生活費を抜いたすべてを上物の「コンプライアンス」に充てていて、毎日ハッピーでああいうのが本当にミニマムライフって言うんだよと僕は思っている。

話がよく分からない方向にいってしまったけれど、人によって幸福度みたいなものの基準は全然違うのだなと思ったのだ。

ラッセル幸福論 (岩波文庫)

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