本屋の憂鬱

紙の本を買うようになって、本屋さんに行くことが増えた。kindle生活ではAmazonを眺めながら指でスクロールしてダウンロードするという本との出会いだったのだけれど、実際に書店に行き本に触れることが多くなった。本屋にいっていつも思うのはこれだけ大量に本が存在していることに驚くことと、この中の何冊は本当に読む価値のあるものなのだろうかという疑問のような感情。もちろん本を書いている本人は素晴らしいものを作っているというような思いで書いているのだろうけれど、僕にとっては経済学の本や財テクのような本は本当に意味のない本のように思えてしまうのでそのような本が毎日のように新しく出版されていると思うと正直理解できないなとか考えてしまう。
書店に行って自分が探している本がない時のあの気持ちを共有できる人が欲しい。欲しい本の作家の棚のところにいき、あいうえお順で並んでいる欲しい作者の本の棚から自分の欲しい本がない時の絶望感みたいなものに耐えることができない。舞城王太郎の「されど私の可愛い檸檬」が欲しくて本屋に探しに言ったのだけれど置いてなくてとても心がざわついた気持ちになった。欲しい本が本屋にないと、自分の文化的な思考がこの本屋では受け入れられていないという気持ちになる。それは本屋だけではなくて、基本的に本屋は一つの町に1店舗しかないような地方で育ったから、その街の本屋から拒絶されるということはその町からも拒絶されているような気持ちになる。それがとても悲しいのと、それがとても残念に思う。地方に行くほど僕が欲しい新書や、海外作者の小説は売って居ないことが多く、それって直接的に文化レベルにつながるのではないのかなと毎回思う。高校生の時に、時々地元に帰ると本屋にWIREDすら売って居ないことに絶望した。ああこの街ではこういった本は受け入れられていないのだなと思った。その代わりに専門店のような品揃えの車やバイクの雑誌たち。売れるのだからしょうがないのだろうけれど、あまりにも露骨ではないですかと思って居た。というよりも本屋はその町の文化の源で、これからその育つ子供たちの知の希望なのだから、経済的なことを少し置いて置いて刺激的な文学や技術書を置いてくれてもいいのではないのかなと思う。そんなことを今日本屋に行って自分の欲しい本が置いてなくて思ったりしました。これじゃあみんなAmazonで買うのも無理はないねと思うのだけれど、僕はなんだか最近は現実世界の本屋に頑張って欲しいと思っているので、本屋さん頑張ってくださいお願いします。

されど私の可愛い檸檬

されど私の可愛い檸檬