アトピーと生活

ほとんど完治したアトピーの事を中心に

言葉について

僕を構成する様々な要素が移り変わっていることを実感する毎日です。すこし前は、とていっても数年前の話になるのだけれど、当時はきっともう少し言葉に、自分に素直に生きて居たと思います。時々本当に何の意味もない、抽象的な単語の連続で作られた言葉を吐いて、現実とのバランスを取っているような生活をしていた。舞城王太郎は「言葉は神で、無から全てを作り出す」と言ったけれど言葉は神で、全てを無に帰すこともできると僕は思う。とうよりも人生において、そのようなことを学んだ人生であったように思う。

記録を残すことについて。誰かに何かを伝えるための文章を書くようになってから僕は言葉の本当の意味を無視して、単語の連続性の美しさとかそういうものを捨ててしまったのだと思う。あの京都の2Kのマンションでの生活の夜に、そういうものを全て置いてきてしまったのだと思う。彼女が、僕の文章を読んでくだらないと言った意味がやっと今になってわかったような気がした。確かに僕の文章は当時のそれと比べれば何の価値もないものに成り下がっているように思う。誰かに何かを伝えるための、簡単で読みやすい文章。そこには照度もなくて、匂いも何もない。本当に無機質で意味を伝えるための文章はほとんど記号と同じで、そこに言葉としての意味などないように思う。今と同じようにMacBookで、完全な夜にタイプしていた文章とは全く毛色の違う文章を書く僕をみて、君は笑ったのだろう。僕だって笑うと思う。世界に受け入れらるための文章。意味をつたえるための文章。食べても味のしない文章を、僕は今も書いている。